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東京地方裁判所 平成元年(ワ)2182号 判決

原告

加藤太郎

右法定代理人親権者母

加藤美江子

同父

加藤明彦

原告

加藤美江子

加藤明彦

右三名訴訟代理人弁護士

鈴木利廣

齋藤敏博

横山正夫

被告

学校法人東京女子醫科大学

右代表者理事

吉岡博人

右訴訟代理人弁護士

松井宣

小川修

松井るり子

主文

一  被告は、原告加藤太郎に対し、金一億七九万七九二六円及びこれに対する昭和五九年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告加藤美江子及び原告加藤明彦に対し、それぞれ金二二〇万円及びこれらに対する昭和五九年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告加藤太郎に対し、金一億三八三四万八二六六円及びこれに対する昭和五九年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告加藤美江子、同加藤明彦に対し、それぞれ金一一〇〇万円及びこれに対する昭和五九年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、学校法人であり、高度医療を行なう日本有数の大規模総合病院である東京女子醫科大学病院(以下「被告病院」という。)を開設し、また、原告加藤美江子(以下「原告美江子」という。)の出産に立ち会った医師及び看護婦ら(以下「被告病院の医師ら」という。)を雇用している。

(二) 原告加藤太郎(以下「原告太郎」という。)は、昭和五九年二月二四日、被告病院産婦人科で出生した男児であり、原告美江子は原告太郎の母であり、原告加藤明彦(以下「原告明彦」という。)は、原告太郎の父である。

2  診療契約の締結及び診療経過

(一) 原告美江子は、昭和五八年七月一三日、被告病院産婦人科を受診して妊娠と診断され、同日から被告病院に通院を始め、同日、原告美江子、被告間において、被告が原告美江子の身体について妊娠、出産、出生後の管理、治療等をなすこと及び出生する子の胎内管理、出産、出生後の管理、治療等をなすことを目的とする契約が締結された。

(二) 原告美江子は、右診療契約に基づき、同日から昭和五九年二月二二日までの間、被告病院の外来で、同日から同年三月四日までの間、被告病院に入院してそれぞれ診療を受け、この間、同年二月二四日、原告太郎を被告病院産婦人科で出産した。

3  出産の経過

(一) 原告美江子は、同月二二日午後四時三〇分、分泌があり、同日午後八時、被告病院に入院した。その際、子宮頸部は、1.5センチメートルであった。

(二) 被告病院の医師らは、翌二三日午前一一時一五分より、原告美江子にプロスタグランディンF2αの投与を始めて陣痛促進を図り、同日午後二時、右薬剤を毎分六〇滴まで徐々に増量し、同日午後三時、投与を中止し、翌二四日午前二時三〇分、分娩室に入室させて同日午前三時一〇分まで分娩監視装置を装着し、同日午前三時一〇分すぎ、再度装着した。

(三) 被告病院の医師らは、同日午前九時すぎころ、原告美江子に対してオキシトシンの投与を毎分一〇滴で始めて陣痛促進を図り、原告美江子は、同日午前一〇時、破水した。

(四) 胎児の心拍数は、同日午前一〇時三五分までは正常であったが、同日午前一〇時五〇分の時点で、被告病院の医師らは胎児の心拍数が低下したことを認め、原告美江子に酸素三リットルの吸入を始めてオキシトシンの投与を毎分三五滴とした。同日午前一一時、胎児の心拍数が低下したまま子宮口が全開して、被告病院の医師らは、原告美江子に酸素五リットルを吸入し、一回目の胎児の吸引を行ない、同二分、同五分、同八分、同一五分、二回目ないし五回目の各吸引を行ない、同二五分、六回目の吸引を行ない、同二九分、経膣分娩により原告太郎が出産した。

(五) 出産時の原告太郎の状態は、臍帯巻絡が頭部及び胴部に各一回あり、念転右、頭血腫、骨重積がみられ、アプガースコア一―三―四点で重症仮死の状態であった。

(六) 原告太郎は、現在、アセトーゼ型脳性麻痺の後遺症を負っている。

4  原告太郎の脳性麻痺の原因

(一) 本件においては、母親原告美江子の軟産道の強靭、伸展性不良、出口部が狭いことなどから遷延分娩となって胎児の予備能が衰弱した状態に加え、巻絡した臍帯が圧迫されて胎盤から胎児への血液供給に障害を来して胎児低酸素状態を招来し、かつ、被告病院の医師らが、経膣分娩が困難な状況にあるのに、敢えて子宮収縮剤の使用を継続してクリステレル圧出法を併用した経膣分娩を強行したもので、このような分娩の遷延及び過度の吸引により、原告太郎に脳性麻痺が生じた。

(二) 仮に本件において臍帯巻絡がなかったとしても、被告病院の医師らは、遷延分娩となり胎児の予備能が衰弱した状態において、経膣分娩が困難であるのに敢えて子宮収縮剤の使用を継続しクリステレル圧出法を併用した経膣分娩を強行したもので、このような分娩の遷延及び過度の吸引により、原告太郎に脳性麻痺が生じた。

5  被告の責任

(一) 胎児仮死の予見可能時期

(1) 同日午前一〇時五〇分に生じた胎児の基準心拍数が低下した持続性徐脈は、極めて重症な胎児仮死の徴候であって、それが何らの前兆もなく突然出現することは極めて稀であり、胎児の心拍数が正常であった同日午前一〇時三五分からこのような持続性徐脈が出現した同日午前一〇時五〇分までの間に、胎児仮死を示す何らかの心拍数の変化、おそらく臍帯巻絡による高度の変動一過性徐脈が出現していたと考えられ、被告病院の医師らは、同日午前一〇時五〇分以前に胎児仮死を予見できた。

(2) さらに、本件において被告主張のように三か所もの臍帯巻絡が生じていたならば、胎児の心拍数が正常であった同日午前一〇時三五分から持続性徐脈が生じた同日午前一〇時五〇分までの間のある時点で、変動一過性徐脈が分娩監視装置の記録上に現れたはずであり、被告病院の医師らは、同日一〇時五〇分以前に胎児仮死そして臍帯巻絡を予見できた。

(二) ダブルセットアップを行わなかった義務違反

(1) 難産の予見可能性

原告美江子は、同月二三日午前二時三〇分ころ、一〇ないし一五分おきの陣痛があり、その二四時間後の翌二四日午前二時三〇分になってようやく子宮口が三ないし四センチメートル開大したにすぎず、被告病院の医師らは、その時点で、原告美江子について、高齢(三一歳)、初産、低身長(一五〇センチメートル)、初診時より12.5キログラムの体重増加といった事実を認識し、これによって頸管の強靭、産道の伸展性の欠如を認識し、かつ微弱陣痛の疑いの診断、そして骨盤X線所見によって骨盤出口部が狭いとの診断を行なった。そして、原告美江子は、その後も陣痛があまり増強せず、同日午前九時三〇分に子宮口が七センチメートル開大するに至ったもので、分娩第一期が遷延し胎児にある程度のストレスが加わり、胎児の循環系の予備能を低下させるおそれが生じた。被告病院の黒島助教授も同日午前九時三〇分の内診で原発性微弱陣痛の診断をなし、子宮収縮剤の使用を開始した。したがって、同日午前九時三〇分の時点で、難産を予想すべき明確な事態が発生しており、この時点で、被告には帝王切開を含めた急速遂娩術の準備、すなわちダブルセットアップを行なう義務が生じていた。

さらに、原告美江子の頸管強靭、産道の伸展性の欠如、原発性微弱陣痛の認識、診断によれば、破水が生じた時点で、羊水の流失により子宮壁が胎児を直接圧迫し、胎児仮死を来すことは明らかであり、同日午前一〇時の破水後に一定の確率で本件胎児仮死は予測された。したがって、被告病院の医師らには、同日午前一〇時の時点で、確定的にダブルセットアップを行なう義務が生じていた。

(2) 帝王切開による児の娩出に要する時間は、執刀開始から一〇分程度といわれ、経膣分娩を行なう際に、予め帝王切開手術の準備を済ませ何時でも直ちに帝王切開を実施できる状態にしておくという、いわゆるダブルセットアップの状態にあった場合、分娩監視装置のモニターによって異常な徐脈を早期に発見したならば、陣痛弛緩剤を使用して胎児への圧迫をやわらげ、母体に酸素を投与しつつ体位の変換を行なうなどの子宮内保存的治療を実施しながら、帝王切開に移行して児を娩出することにより、胎児仮死は回避される可能性が高い。そして、臍帯巻絡の際出現するとされる変動一過性徐脈が新生児仮死となる可能性が高いのは、異常発生から三〇ないし四〇分以上右徐脈が経過した場合であるとされる。したがって、本件において、同日午前一〇時三五分から同五〇分の間に生じたと考えられる変動一過性徐脈を解読してその時点で帝王切開を行なうか、遅くとも同五〇分の時点で直ちに帝王切開を行なっていれば、新生児仮死を回避することは可能であった。

(3) 前記のとおり、被告病院の医師らにおいて、同日午前九時三〇分、又は、遅くとも同日午前一〇時の時点で難産となる危険が判明していたのであるから、同人らは、子宮収縮剤の使用開始時に帝王切開による出産を予測し、ダブルセットアップによる出産をはかるべき義務があったにもかかわらずこれを行なわず、胎児仮死の状態が出現したのに、直ちに子宮内保存的治療を施して帝王切開を行なうことをせず、子宮収縮剤の使用を継続して胎児仮死を助長し、また、陣痛弛緩剤を使用せず、漫然と子宮口全開大となるまで時を経過させ、帝王切開の処置をとらなかった。

(三) 分娩監視義務違反

(1) 一般の場合ですら、子宮収縮剤の使用によって胎児への圧迫が増大し仮死が生ずる危険が高まるため、胎児の状態を外部から知る唯一最大の装置である分娩監視装置の装着による胎児の把握が必要不可欠であり、まして、本件において被告病院の医師らは、前記のとおり同日午前九時三〇分の時点で難産となることが予見できたのであるから、その装着及び監視は必要不可欠のものであった。

(2) 前記のとおり、同日午前一〇時三五分から同日午前一〇時五〇分までの間に、変動一過性徐脈が出現したのであるから、被告病院の医師らはこれを見過ごした。被告病院の医師らは、分娩監視装置を使用して現に徐脈を判読している以上、変動一過性徐脈も容易に判読できたというべきであり、被告が分娩後の予測をすることは十分に可能であった。

(3) 本件において、被告病院の医師らは、同日午前一〇時三五分から同日午前一〇時五〇分までの間に、臍帯巻絡を予見できたのであり、その時点では未だ子宮口が全開大前であったのであるから、子宮収縮剤の使用を直ちに中止し、子宮内保存的治療を実施して速やかに帝王切開に移行すべきであったのに、分娩監視を怠って原告太郎の仮死の徴候を看過し、子宮収縮剤の使用をなお継続し、胎児仮死の増強に加担し、また、陣痛弛緩剤を使用せず、漫然と子宮口全開大となるまで時を経過させ、帝王切開の措置をとらなかった。

(四) 急速遂娩術の選択の誤り

仮に被告病院の医師らが胎児仮死を認識できたのが同日午前一〇時五〇分であったとしても、被告病院の医師らは、まず、その時点で胎児の基準心拍数そのものが急速に下がり極めて重症な胎児仮死が生じていたのであるから、一〇分ないし一五分以内に胎児を子宮外に娩出させなければ新生児仮死そして脳性麻痺が出現するとの診断を行ない、次いで、急速遂娩術の方法として、吸引分娩を行なうか帝王切開を行なうかの選択に当たっては、子宮口全開大前で児頭も高く、前記(二)(1)のとおり、母体の軟産道が強靭で伸展性が悪く、出口部が狭いため、一五分程度での吸引による経膣分娩は到底不可能であり、その準備に約三〇分を要する帝王切開と吸引分娩とでは娩出までに同程度の時間を要するが、単に吸引分娩を行なった場合とその間に前記の子宮内保存的治療を行ないつつ帝王切開した場合とでは、胎児の予後に有意的な差異が生じるのであるから、そのことを考慮して、急速遂娩術としては帝王切開しか手段がないことを認識し、子宮内保存的治療を行ないつつ帝王切開を行なうべきであった。

しかし、被告病院の医師らは、同日午前一〇時五〇分の重篤な胎児仮死の発現に対して、子宮内保存的治療を行なわず、一〇分を漫然と経過させた後の同日午前一一時から吸引分娩を選択し、三〇分の娩出の予測のもとに、重篤な仮死を増悪するクリステレル圧出法、子宮収縮剤の使用継続、吸引分娩術を実施し、重篤な新生児仮死、脳性麻痺の結果を生じさせた。

6  損害

(一) 原告太郎について

(1) 逸失利益 金四〇二八万四八八六円

原告太郎は、脳性麻痺に罹患したことにより、労働能力を一〇〇パーセント喪失し、終生これを回復することは不可能である。

そして、平成三年度の賃金センサスの男子労働者学歴計の年収額は、金五三三万六一〇〇円であり、これに六七年のライプニッツ係数19.2390から一八年の同係数11.6895を引いた7.5495を乗じた金四〇二八万四八八六円が原告太郎の逸失利益である。

(2) 付添費用 金七一〇二万六〇八〇円

原告太郎は、脳性麻痺により、日常生活の起居動作全般にわたって、両親など家人による介助付添を必要としており、このような状態は同人の生涯にわたり継続するものである。

そして、職業的看護補助者の一日についての付添料金は、昭和六二年度において金九六一〇円であり、今後右金額が増額されることは必至であるから、原告太郎は、同人が被告病院を退院した昭和五九年四月一六日から昭和六一年度の男子一年の簡易生命表の平均余命74.65歳まで、一日一律一万円として七四年のライプニッツ係数19.4592を乗じた金七一〇二万六〇八〇円が付添費用の現価総額となる。

(3) 慰謝料 金二二〇〇万円

原告太郎は、本件医療事故により、労働能力を喪失したばかりか、人間として考え悩み、自由闊達に飛び回り、陽気に笑い、そして悲しむこと自体を奪われ、その苦痛は図り知れないものがある。被告病院は、名声をはせ、誰もが信頼をおく大病院であって、産科に対する信頼も厚く、この信頼に答えるべき重大な社会的使命を持つにもかかわらず、この信頼を裏切り、無責任にも粗雑な治療行為により原告太郎に多大の苦痛を与えた。かかる原告太郎の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は金二二〇〇万円を下らない。

(4) 弁護士費用 金一二五〇万円

原告太郎の法定代理人である原告美江子及び同明彦は本件訴訟を原告訴訟代理人らに委任し、弁護士費用を支払う旨約したが、右金員のうち原告太郎の(1)ないし(3)の損害分については、その合計金の一〇パーセントを被告が負担すべきである。

(二) 原告美江子及び原告明彦について

(1) 慰謝料 各自金一〇〇〇万円

原告美江子及び同明彦は、本件医療事故により、人間として考え悩み自由闊達に飛び回り、陽気に笑い、そして悲しむことのできる子を奪われ、ありふれた平凡な家庭を築くことが困難になり、その苦痛は図り知れないものがある。被告病院は、名声をはせ、誰もが信頼をおく大病院であって、産科に対する信頼も厚く、この信頼に答えるべき重大な社会的使命を持つにもかかわらず、この信頼を裏切り、無責任にも粗雑な治療行為により原告美江子及び同明彦に多大の苦痛を与えた。かかる原告美江子及び同明彦の精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は各自金一〇〇〇万円を下らない。

(2) 弁護士費用 各自金一〇〇万円

原告美江子及び同明彦は本件訴訟を原告代理人らに委任し、弁護士費用を支払う旨約したが、右損害の一〇パーセントを被告が負担すべきである。

7  よって、原告太郎は被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、金一億四五八一万九六六円のうち金一億三八三四万八二六六円及びこれに対する債務不履行又は不法行為のあった日の昭和五九年二月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告美江子及び同明彦は被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき、各自金一一〇〇万円及びこれに対する債務不履行又は不法行為のあった日の昭和五九年二月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。なお、被告と原告美江子との間に出産、出産後の管理、治療等をなす旨の診療契約が締結されたのは、昭和五八年七月一三日以降である。

2  同3のうち、原告美江子が昭和五九年二月二二日午後八時に被告病院に入院したこと、翌二三日午前一一時一五分からプロスタグランディンF2αの投与を開始したこと、同日午後三時、子宮収縮剤投与を中止したこと、翌二四日午前三時一〇分、分娩監視装置を外したこと、同日午前一〇時、破水したこと、同日午前一〇時五〇分、胎児の心拍数が低下し、被告病院の医師らは、原告美江子に酸素三リットルの吸入を始め、オキシトシン投与を毎分三五滴としたこと、同日午前一一時、胎児の心拍数が低下したまま子宮口が全開して酸素五リットルの吸入をし、一回目の胎児の吸引を行ない、同二分、同五分、同八分、同一五分、同二五分、それぞれ二回目ないし六回目の吸引を行ない、同二九分、経膣分娩により原告太郎が出産したこと、出産時の原告太郎の状態が、頭血腫、骨重積がみられ、アプガースコア一―三―四点で重症仮死の状態であったこと、原告太郎が現在アセトーゼ型脳性麻痺の後遺症を負っていることは認め、その余の事実は否認する。

3  同4のうち、原告美江子に子宮収縮剤を投与したこと及び原告太郎に脳性麻痺の後遺症が生じたことは認め、その余の事実は否認する。

4  同5はいずれも否認し、同6は争う。

三  被告の主張

1  分娩の経過について

(一) 原告美江子は、同月二二日午後四時三〇分、産徴を認め、同日午後八時、被告病院に入院した。入院時、児心音は腹壁右側で良好に聴取でき、内子宮口は一指通じ、児は第二頭位であり、児頭下降度はステーションがマイナス二で、三〇分間隔、発作五秒程度の腹緊を認めたが陣痛には至らなかった。

(二)(1) 翌二三日午前七時、一時的に腹緊が八分毎に認められたが、その後減弱したため、原発性微弱陣痛が疑われ、その発生因子のうち児頭骨盤不均衡(以下「CPD」という。)の有無を診断するため、骨盤レントゲン撮影を行なったが、レントゲンフィルム上、CPDはなく、出口部前後径8.3センチメートルであったので経膣分娩可能と判断した。

(2) 同日午前一一時一五分の内診の診察所見は、内子宮口は一指緩く開大、頸管は長さ1.5センチメートルで硬く、先進部児頭、児頭降下度はステーションがマイナス二で、児心音は良好であった。CPDはなく、頸管は長さ1.5センチメートルで硬く、陣痛が微弱なことから、原発性微弱陣痛と診断し、頸管軟化作用のあるプロスタグランディンF2αにより陣痛促進を行なうこととし、安達知子医師(以下「安達医師」という。)がその旨原告美江子に説明し、了解を受けた。

(3) 同日午前一一時一五分から午後三時までの間、分娩監視装置(日本光電工業株式会社製、分娩監視装置モデルOMF―六一〇一型。以下「本件分娩監視装置」という。)を装着した上で、陣痛待機室でプロスタグランディンF2α二〇〇〇ug+五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルを点滴投与した。

(4) 同日午後三時のプロスタグランディンF2α投与終了時の診察所見は、内子宮口二指通ず(2.5センチメートル開大)、頸管は硬く児頭の位置には変化がなく、陣痛誘発は中止し、五パーセントブドウ糖液のみ五〇〇ミリリットル点滴投与に変更し、引続き陣痛室において経過観察することとした。陣痛は、投与中止時には二ないし六分間隔であったのが次第に遠退き不規則となったが、児心音は良好で、原告美江子は、同日午後七時、陣痛室から病室に帰室し、帰室後、腹緊が時に強くなるので、安眠できるようホリゾン五ミリグラムを二回投与した。原告美江子には、明日朝から再び陣痛促進をするので、今夜はよく休んで破水や陣痛が強くなったら連絡するよう話した。

(三)(1) 翌二四日午前二時三〇分、原告美江子から陣痛が強くなったとの訴えがあったため、看護婦が内診したところ、子宮口が三ないし四センチメートル開大していたので、陣痛開始と認め分娩室に入室させた。

(2) 同日午前二時三〇分から午前三時一〇分までの間と午前六時から本件分娩監視装置を装着したところ、児心音は良好、陣痛は五ないし六分間隔、発作継続は一〇秒と短く性状は弱かった。本件分娩監視装置は、午前六時以降、灌腸後のトイレ使用中に一時外しただけで、吸引分娩開始時まで装着を継続した。

(3) 同日午前七時、高圧灌腸を施行したが、子宮口は五センチメートル開大し、陣痛間隔は五ないし六分、発作は一〇ないし一五秒継続した。

(4) 同日午前八時二〇分、児心音は毎分一四〇ないし一六〇、陣痛は五分ないし六分間隔で、発作は一〇ないし一五秒継続、児頭降下度はステーションがマイナス一、胎胞プラスであった。原告美江子は、痛みをしきりに訴えたので、看護婦らは、陣痛時の呼吸法と陣痛発作時に腹圧をかけないようにすることを指導した。

(5) 同日午前九時三〇分、黒島助教授の内診によれば、子宮口は七センチメートル開大、未破水で、頸管の展退度七〇ないし八〇パーセント、児頭降下度はステーションがマイナス一、胎胞プラスであった。

フリードマン曲線では、初産婦は、子宮口が三ないし四センチメートルから九センチメートル開大するまで平均約二時間を要するとされるところ、原告美江子は、子宮口七センチメートル開大に七時間を要していた。また、子宮口七センチメートル開大時の平均値は、陣痛間隔が二分三〇秒、発作継続は七〇秒であり、陣痛が六分以上の間隔又は発作継続が三〇秒以内の場合は、微弱陣痛というが、原告美江子の陣痛は、五分間隔で発作継続一〇秒であった。

(6) 黒島助教授は、原告美江子について原発性微弱陣痛と診断し、分娩時間が遷延して母体及び胎児に悪影響が生じることを懸念して、CPDのないことが確認されていたので、オキシトシン点滴投与により陣痛促進を図ることを指示した。

(7) 安達医師が原告美江子に対し、陣痛が弱いので陣痛を強める点滴を行なう旨を話して承諾を受け、同日午前九時四〇分よりオキシトシン五単位+五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルによる陣痛促進を毎分当たり一〇滴投与により開始し、段階的に増量して行った。

(四)(1) 同日午前一〇時、自然破水し、羊水混濁はなく子宮口は七センチメートル開大であった。

(2) 同日午前一〇時三五分、子宮収縮剤により陣痛は順調となり、子宮口は辺縁でほぼ全開大となり、陣痛間隔三ないし四分、発作継続一五秒、児心音は毎分一二〇ないし一四〇と良好であった。

(3) 子宮口がほぼ全開大となったため、原告美江子に対し、陣痛発作時に腹圧をかけてもよい旨指導した。

(五)(1) 同日午前一〇時五〇分、それまでの児心音は基準心拍数毎分一二〇ないし一四〇で良好であったのに、突然、一時短時間に毎分一〇〇ないし一一〇に低下したので、直ちに酸素三リットルの経鼻投与を開始したところ、児心音は毎分一二〇ないし一四〇に回復した。

(2) 原告美江子に対し、陣痛発作時、腹圧をかけるよう指導していたが、同日午前一一時少し前、再び、児心音が一時的に下降したため、急速遂娩術の適応を考えた。そして、陣痛促進により分娩進行は順調となりCPDはなく、児心音はこれまで良好で胎児の予備能力は十分であると考えられたこと、児頭がステーションプラス一と骨盤中位に位置しており、子宮底を押すと児頭がやや下降することが確認されていたこと、羊水混濁がないこと、帝王切開には執刀までに約三〇分要することを考慮して、帝王切開ではなく吸引分娩を選択し、直ちにその準備をした。

(3) 原告美江子に対しては、吸引分娩で分娩の手伝いをするので上手に看護婦の指示に従って、腹圧をかけるよう話した。

(六)(1) 同日午前一一時、児心音は各五秒あたり七・七・八に低下したため、酸素を毎分五リットルに上昇させ、小児科に連絡の上、吸引カップを児頭に装着した。クリステレル圧出法を併用するため、本件分娩監視装置を腹壁から外し、以後、陣痛間欠時に超音波ドップラー心音計により、児心音を測定した。

(2) この時点の診察所見は、子宮口全開大、児頭降下度がステーションプラス一、矢状縫合は午前一〇時に小泉門を触知し、回旋異常は認められなかった。

(3) 看護婦の指導による原告美江子の呼吸に合わせ、クリステレル圧出法を併用しながら、陣痛発作時に一回目の吸引を行ない、滑脱を防ぐため間欠時には吸引圧を下げ待機したところ、児心音は、一〇・一〇・一〇各五秒間まで回復した。

(4) 再び児心音は、七・七・八各五秒間に下降し、陣痛発作に合わせ、同日午前一一時二分に二回目の吸引を行なったが、吸引カップは滑脱した。

(5) 同五分、児心音は九・九・八各五秒間で、三回目の吸引を実施し、同八分、四回目の吸引を実施した。三回目又は四回目の吸引の後に、吸引カップが滑脱した。

(6) 四回目の吸引の後、原告美江子の呼吸を整えるため、吸引装置のスイッチを切り、吸引カップを外して約一〇分間待機したが、適当な陣痛は発来せず、かつ、児心音は、各五秒間で八ないし一〇の中程度の徐脈であった。

(7) この間、児心音が頻繁に低下し、その原因として臍帯因子の可能性も考えたが、臍帯巻絡を確認する十分な根拠はなく、臍帯巻絡の確認はできなかった。

(8) 同二五分、陣痛が発来したため、吸引装置のスイッチを入れ、六回目の吸引を実施し、同二七分、排臨、同二八分、発露、同二九分、児娩出となり、新生児の状態は、全身チアノーゼで啼泣なく、アプガースコアは一分後一点、臍帯が頸部、胴部、左下肢に各一回巻絡しており、臍帯長は六〇センチメートルであった。直ちに、未熟児室にてクベース収容し、蘇生術を施行し同日一一時三五分挿管した。

(七) 分娩時間は、第一期八時間三〇分、第二期二九分、第三期三分、合計九時間二分で、出血量は一九五ミリリットルであった。

(八) 本件では、分娩監視装置のモニターにより、初めて軽度の一過性徐脈が認められたのが、同日午前一〇時五〇分であり、経母体治療である酸素投与で一旦改善し、再び一過性徐脈が出現したため、同日午前一一時、急速遂娩を施行したものであるが、児頭の下降に伴ない、初め軽症であった胎児仮死が徐々に重症化し、おそらく最後に急速に血流遮断が起きたと考えられる。

(九) 昭和五九年二月当時の被告病院の産科の診療体制は、黒島助教授を班長に、安達、河西、高梨、慎、大平の六名の各医師が、午前九時から午後一時ころまで外来診療に当たり、午後一時以降は、不妊、思春期外来、外来小手術を行ない、外来診療に当たらない医師は、病棟において分娩、流産の処置又は入院患者の診療に従事するほか、病室毎に受持を持っており、原告美江子の病室担当医は安達医師であった。同医師は、同年二月二四日の原告美江子の分娩に立ち会い処置した。班長は、午前九時に当直医又は受持医の上申により、分娩前の妊婦、夜間に分娩に至らなかった妊婦などを診察し、その後の方針を決定した。班長で判断しかねるものについては、教授に相談して、指示を仰ぐこととしていた。

2  被告の処置の正当性について

(一) 胎児仮死の予見可能時期について

同日午前一〇時五〇分に生じたのは一過性徐脈で、同日午前一一時までの間、児心音は回復していたのであり、被告病院の医師らが胎児仮死を予見できたのは、急速遂娩が決定された同日午前一一時ころである。

(二) ダブルセットアップについて

大病院においては、ダブルセットアップからの帝王切開と、緊急帝王切開のどちらも手術までに要する時間はほとんど変らず、被告病院産婦人科では、帝王切開開始までの所要時間は三〇分で可能であった。これは、手術をする産科医、介助の助産婦、手術室、帝王切開の器具準備の看護婦、麻酔専門医がそろっており、それぞれ連携して動くことが可能なためで、ダブルセットアップの場合には、産婦は食い止め、点滴確保、心電図検査、剃毛、帝王切開手術の承諾の確認を行なっておくわけであるが、分娩に際し産婦はすべて陣痛増強時は食い止め、陣痛促進時は点滴確保がなされており、心電図検査、剃毛、帝王切開手術承諾は数分以内に行なうことができ、緊急帝王切開とダブルセットアップからの帝王切開の所要時間には差がないのである。被告病院では、当時、三階の分娩室から二階の中央手術室への移送に五分、麻酔の準備、導入に一〇分、術者の着替え、手指消毒に五ないし一〇分、産婦の布かけ、手術野消毒に五分等を要し、その合計が三〇分なのである。

したがって、ダブルセットアップの状態にあったとしても帝王切開の手術開始までには三〇分を要した以上、新生児仮死の回避は不可能であった。また、本件では急速遂娩実施から二九分で児を娩出しており、帝王切開を選択したとしても児の娩出まで三〇分を要するので、所要時間はほぼ同一であり、吸引分娩であるから娩出まで余計に時間がかかったということはない。

(三) 分娩監視義務違反

同日午前一〇時三五分から同日午前一〇時五〇分までの間に、変動一過性徐脈が出現した事実はなく、被告病院の医師らがこれを見過ごしたということはない。変動一過性徐脈は臍帯圧迫により生じることが一般的に知られているが、臍帯巻絡があったとしても変動一過性徐脈が出現するとは限らず、逆に、臍帯巻絡がなくとも変動一過性徐脈は生じうるため、娩出前に臍帯巻絡を予測することは不可能である。被告病院の医師らが、一過性徐脈を認めたのは同日午前一〇時五〇分であるが、軽度の一過性徐脈の場合に、臍帯巻絡を疑うことはできてもその確定診断は児の娩出前には不可能である。本件においては、児の娩出後に臍帯巻絡が認められ、事前にその予測は不可能であったのであり、また、この時点で子宮口は辺縁でほぼ全開大に近くなっていたのであるから、被告病院の医師らが同日午前一〇時五〇分以前に原告が主張するような措置をとるべき義務はなかった。

なお、分娩監視装置は、平成元年に至っても判読不能なことが多く、娩出前の一〇数分間は正確な記録が不可能である。

(四) 急速遂娩術の選択について

(1) 本件では、急速遂娩を決定した時点で、①CPDがない、②児頭下降度がステーションプラスマイナス〇以下、③子宮口全開大、④破水、⑤膀胱・直腸が空虚、⑥骨盤内腫瘤がない、といった吸引分娩施行の条件をいずれも満たしていた。

(2) 吸引分娩による遂娩は、一般に三ないし五回の牽引により、かつ、全牽引操作は最大三〇分以上にならないように考慮し、三回以上の滑脱があれば他法を考慮する。本件では、酸素投与を続けながら吸引を行ない、陣痛発作に合わせた六回の吸引で滑脱が二回あったものの、二九分後に児を娩出しており、吸引分娩を選択したことは妥当であった。また、無理な吸引分娩による児への合併症は、一般に帽状腿膜下出血と頭蓋内出血であるが、本件では右のような児への損傷はないのであるから、過度の吸引ではない。

(3) 子宮収縮剤については、同日午前九時三〇分、黒島助教授が原告美江子について原発性微弱陣痛と診断し、分娩時間が遷延して母体及び胎児に悪影響が生じることを懸念し、CPDのないことが確認されていたので、オキシトシン点滴投与により陣痛促進を図ることを指示したもので、医学的適応があり、安達医師が原告美江子に対し、陣痛が弱いので陣痛を強める点滴を行なう旨を話して承諾を受けていたが、吸引分娩を選択した以上適切な陣痛は必要であって、本件のように微弱陣痛の認められるときは、オキシトシンの点滴静注によって陣痛を正常化させる必要があり、陣痛抑制剤を使用する意味はない。

第三  証拠

本件訴訟記録中、書証目録及び証人等目録記載のとおり。

理由

一1  請求原因1の各事実は、当事者間に争いがない。

2(一)  請求原因2の(一)の事実のうち、原告美江子は、昭和五八年七月一三日、被告病院産婦人科を受診して妊娠と診断され、同日から被告病院に通院を開始し、同日、原告美江子、被告間において、被告が原告美江子の身体について妊娠管理、治療等をなすこと及び出生する子の胎内管理、治療等をなすことを目的とする契約が締結されたことは、当事者間に争いがない。

また、成立に争いがない乙第二号証、原告美江子本人尋問の結果によれば、昭和五九年二月二三日、被告と原告美江子との間に出産、出産後の管理、治療等をなす旨の診療契約が締結されたことを認めることができる。

(二)  請求原因2の(二)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因3―分娩の経過について

1  請求原因3のうち、原告美江子が昭和五九年二月二二日午後八時に被告病院に入院したこと、翌二三日午前一一時一五分からプロスタグランディンF2αの投与が開始されたこと、同日午後三時、子宮収縮剤投与が中止されたこと、翌二四日午前三時一〇分、分娩監視装置が外されたこと、同日午前一〇時、破水があったこと、同日午前一〇時五〇分、胎児の心拍数が低下し、被告病院の医師らが、原告美江子に酸素三リットルの吸入を始め、オキシトシン投与を毎分三五滴としたこと、同日午前一一時、胎児の心拍数が低下したまま子宮口が全開して酸素五リットルの吸入をし、一回目の吸引が行なわれ、同二分、同五分、同八分、同一五分、同二五分、それぞれ二回目ないし六回目の吸引が行なわれ、同二九分、経膣分娩により原告太郎が出産したこと、出産時の原告太郎の状態は、頭血腫、骨重積がみられ、アプガースコア一―三―四点で重症仮死の状態であったこと、原告太郎が現在アセトーゼ型脳性麻痺の後遺症を負っていることは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実に加え、前掲乙第二号証、成立に争いがない甲第一七号証、第一八号証の一、二、乙第一号証、第三号証、第四号証の一ないし九、第五号証の一ないし三、第六号証の一、二、原本の存在及び成立に争いがない乙第七、第八号証、証人安達知子、同赤星京子及び同米山万里枝の各証言、原告美江子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  昭和五九年二月当時の被告病院の産科の診療体制は、外来診療が午前九時から午後一時ころまで、不妊、思春期外来、外来小手術等の特殊外来が午後一時以降であり、外来診療に当たらない黒島助教授を班長とした安達、河西、高梨、慎、大平の六名の医師が、病棟において分娩、流産の処置又は入院患者の診療に従事するほか、病室毎に受持を持っており、原告美江子の病室担当医は安達医師であったこと、同医師は、同年二月二四日の原告美江子の分娩に立ち会い処置したこと、班長は、午前九時に当直医又は受持医の上申により、分娩前の妊婦、夜間に分娩に至らなかった妊婦などを診察し、その後の方針を決定したこと、班長で判断しかねるものについては、吉田教授に相談して指示を仰ぐこととしていたこと、主任助産婦は、赤星京子(以下「赤星助産婦」という。)であり、助産婦として米山万里枝(以下「米山助産婦」という。)がいたこと、

(二)(1)  胎児の児心音は毎分一二〇ないし一六〇が正常であり、毎分一〇〇から一二〇が軽度徐脈、毎分一〇〇以下が高度徐脈とされるが、右高度徐脈のうち、毎分六〇から一〇〇を中等度徐脈、毎分六〇以下を高度徐脈とすることもあること、

(2) 児心音について、被告病院では当時、五秒毎に聞こえる心拍数を以て表現しており、助産婦が本件分娩監視装置の心音計で音を聴取して助産録に記載し、また、本件分娩監視装置の記録用紙には一分間の心拍数が記載されるので、それを見て助産録に記載した場合には、一分間の心拍数が記載されること、本件分娩監視装置を装着していない時間帯には、ドップラー心音計により児心音を聴取して、助産録に記載していたこと、

(三)(1)  原告美江子は、同月二二日午前九時、下腹部緊満感を、同日午後四時三〇分、産徴(分娩が非常に近くなった時に子宮の出口にある粘液が血液を交えた状態で産道に排出される現象をいう。)を認め、同日午後八時、被告病院に入院したこと、入院時、三九週〇日、児心音は腹壁右側で良好に聴取でき、子宮口は一指通じ(1.5センチメートルから2センチメートル開大)、頸管は硬く、長さは1.5センチメートル、児は第二頭位、児頭下降度はステーションがマイナス二(児頭が骨盤に嵌入する、児頭の最大周囲が骨盤の入口面の位置を基準として二センチメートル上にあること)であり、三〇分間隔、発作五秒程度の腹緊を認めたが陣痛には至らなかったこと、

(2) 安達医師は、原告美江子の三一歳、初産、身長一五〇センチメートル、頸管が硬いという条件について、臨床的に高齢初産が問題となるのは三五歳以上であること、低身長で問題となるCPDは、内診で考えられる範囲において児頭の下降度からすると特には疑われなかったこと、頸管は陣痛が開始してから軟化が進むことから特段問題がないと考えていたこと、

(3) 原告美江子は、翌二三日午前二時三〇分、一〇ないし一五分毎、同日午前三時、五分毎、同日午前六時、五分毎にそれぞれ腹緊を看護婦に訴えたこと、

(四)(1)  翌二三日午前七時、腹部緊満が、原告美江子の自覚では五分毎、安達医師の触診の結果、八分毎に認められたこと、安達医師は、通常陣痛が一〇分間隔になった場合に分娩開始と判断されるところ、同日午前三時に腹緊が五分毎になったとの報告から、同日午前三時から陣痛が始まっており同日午前七時の時点で分娩開始の状態と判断し、高圧灌腸を実施して陣痛の促進を図ったこと、その日の朝のカンファレンスにおいて、安達医師は、原告美江子について、陣痛が起きていている、身長は一五〇センチメートルで高年初産である、子宮口は一指開大であるがまだ硬い、と報告をし、その報告を受けた吉田教授は、CPDの有無を診断するため骨盤レントゲン撮影を行なうよう指示したこと、安達医師は、レントゲンフィルム上、産科真結合線(仙骨岬と恥骨上端近くの裏側を結んだ線であり、骨盤入口部における最短距離をいう。)は11.9センチメートルであり、胎児の大横経(胎児の頭の両方の側頭骨の間の距離の最大値をいう。)の平均値である九センチメートルと比較し、CPDはなく、出口部がやや狭いが正常分娩に障害はないと判断したこと、

(2) 同日午前一一時一五分の安達医師の内診の所見は、子宮口は一指通ず、頸管は長さ一センチメートルで硬くやや短縮し、児頭降下度はステーションがマイナス二、児心音は良好で、陣痛は一〇分間隔に減縮していたこと、安達医師は黒島助教授に対し、原告美江子にはCPDがないこと、頸管が硬く一指開大であること、痛みはむしろ弱くなって来ていることを報告したところ、黒島助教授は、子宮の頸管を柔らかくする作用のある薬であるプロスタグランディンF2αで陣痛誘発することを指示したこと、安達医師は、原告美江子の頸管成熟度の判定に用いられるビショップスコア(骨盤指数)が、頸管開大が1.5から2センチメートルで一点、児頭下降度がステーションマイナス二で一点、頸管長が一センチメートルで二点、以上合計四点でプロスタグランディンF2αを通常投与する五、六点に近く、また、原告美江子が自覚的な痛みを強く訴えており母体の疲労も考慮し、プロスタグランディンF2αで陣痛促進を図ることとしたこと、当時の被告病院では、分娩日が近く陣痛が一旦起きて出血があるが、陣痛が強くならず分娩が進行してこない場合には、自然経過を観察するという方法はとらず、陣痛促進剤で陣痛を強めるという方法を選択していたこと、

(3) 安達医師は、同日午前一一時一五分から陣痛待機室で、原告美江子に本件分娩監視装置を装着した上で、プロスタグランディンF2α二〇〇〇ugを五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルとして、毎分五滴滴下できる速度として点滴投与を始め、本件分娩監視装置で陣痛の強さを見ながら、五分毎に毎分五滴ずつ増量して、午後二時に毎分六〇滴まで上げ、午後三時までに投与を終えたこと、その間、本件分娩監視装置の記録用紙の波形に異常は見受けられなかったこと、

(4) 同日午後三時のプロスタグランディンF2α投与終了時の診察所見は、内子宮口二指通ず(2.5センチメートル開大)、頸管は硬く児頭の位置には変化がなく、陣痛は、二ないし六分間隔であったが、持続は五秒程度と弱かったこと、安達医師は、多少陣痛は強くなってきているが、まだ分娩に至る程の進行ではなかったため、陣痛誘発は中止し、五パーセントブドウ糖液のみ五〇〇ミリリットル点滴投与に変更し、引続き陣痛待機室において本件分娩監視装置を装着して、同日午後七時までの間経過観察したこと、陣痛は次第に遠退き、同日午後六時には不規則となり、消失したこと、その間、原告美江子は、陣痛発作時に非常に痛がったので、同日午後四時一五分、鎮静剤のホリゾン一〇ミリグラムの投与を受けたこと、原告美江子は、同日午後七時、点滴を抜去して陣痛待機室から病室に帰室したこと、安達医師は、原告美江子に痛みが強くなれば連絡するように伝えたこと、

(五)  同日午後一一時一五分、原告美江子からナースコールがあり、痛みが六ないし八分間隔にあると訴えがあり、ホリゾン五ミリグラムが投与されたこと、翌二四日午前零時に原告美江子からナースコールがあり、痛みが一五分間隔で痛くて眠れないと訴えがあり、土屋助産婦はもう少し様子をみるよう促したこと、午前一時五分に再び原告美江子からナースコールがあり、痛みの間隔は不規則となっているが眠れないと訴えがあったので、ホリゾン五ミリグラムが投与されたこと、

(六)(1)  同月二四日午前二時三〇分、原告美江子からナースコールがあり、陣痛が強くなったとの訴えがあったため、土屋助産婦が内診したところ、子宮口が三ないし四センチメートル開大していたので、再度陣痛が始まり分娩開始と認め、分娩室に入室させたこと、

(2) 原告美江子は、分娩室に入室した同日午前二時三〇分から同日午前三時一〇分までの間、本件分娩監視装置を装着したこと、安達医師は、陣痛が五、六分間隔で、一〇秒程度持続する弱いものであったこと、児心音が良好であることを確認したこと、原告美江子は、同日午前六時から再度本件分娩監視装置を装着し、それ以降、灌腸後のトイレ使用中に一時外しただけで、吸引分娩開始時まで装着を継続したこと、

(3) 同日午前七時の所見は、子宮口が五センチメートル開大し、陣痛間隔が五ないし六分、発作は一〇ないし一五秒継続するものであり、高圧灌腸が実施されたこと、

(4) 被告病院では午前八時に助産婦及び看護婦の深夜勤と日勤の勤務交替があるが、同日は、午前七時三〇分ころ、土屋助産婦から既に出勤していた米山助産婦に対して、原告美江子の所見と同人が痛がってナースコールが頻繁にあったので常時付き添っていなければならないことなどの申し送りがなされたこと、赤星及び相沢の各助産婦は同日午前八時ころから勤務を始めたこと、分娩室では、米山助産婦が産婦の消毒、新生児の取り上げ、産婦の分娩後の処置といった分娩の直接の介助を行ない、相沢助産婦がこれを補助することになったこと、米山助産婦は原告美江子のところへ行き呼吸法を説明したが、原告美江子は米山助産婦に、助産婦が一緒についているとうまくできるが、一人ではなかなかうまくできない旨話したこと、

(5) 同日午前八時二〇分の所見は、子宮口が六センチメートル開大、児心音は毎分一四〇ないし一六〇、陣痛は五分ないし六分間隔で一〇ないし一五秒継続し、それほど強くない陣痛であり、児頭降下度はステーションがマイナス一で、胎胞が見られたこと、

(6) 同日の朝のカンファレンスで、安達医師は、前日プロスタグランディンを用いたが分娩に至らず、陣痛も遠退いてしまったこと、午前二時三〇分に陣痛が起きてきて、現在、子宮口が六センチメートル開大しているものの、陣痛そのものは五、六分間隔でそれほど強くなく、児心音は良好であり、産婦が陣痛発作時に非常に痛がっていることを報告したこと、この報告を受けた黒島助教授は、自ら診察すると指示したこと、

(7) 同日午前九時三〇分の黒島助教授の内診によれば、子宮口は七センチメートル開大、陣痛は四、五分間隔で、持続は一〇秒程度の中程度のもので、児心音は良好であったこと、黒島助教授は、初産婦の子宮口が、三ないし四センチメートルから九センチメートルに開大するまで平均約二時間を要するとされるところ、原告美江子の場合は同日午前二時三〇分から七時間を要していたこと、また、子宮口七センチメートル開大時の陣痛の平均値は、陣痛の間隔が二分三〇秒、発作継続は七〇秒であるところ、原告美江子の陣痛は、五分間隔で発作持続が一〇秒程度であったことから、微弱陣痛と判断し、オキシトシンを用いて陣痛促進を図るよう指示したこと、

(8) 同日午前九時四〇分、安達医師は、原告美江子に対し、陣痛が弱いので陣痛を強める点滴を行なう旨を話し、オキシトシン五単位を五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルとして毎分一〇滴の点滴投与を開始し、同五五分、毎分一五滴としたこと、

(七)(1)  同日午前一〇時、原告美江子は自然破水し、羊水混濁はなく、子宮口は七センチメートル開大であったこと、原告美江子は、陣痛発作時に非常に痛がったため、助産婦は、原告美江子に腹圧をかけないように指示したこと、安達医師は、同一〇分、オキシトシンの点滴投与を、毎分二〇滴としたこと、

(2) 同日午前一〇時三五分、子宮口は辺縁(九ないし一〇センチメートル開大)でほぼ全開大となり、オキシトシンの効果で、陣痛は三ないし四分間隔、発作継続が一五秒程度、児心音は毎分一二〇ないし一四〇と正常であったこと、安達医師は、同時刻、オキシトシンの投与を毎分二五滴としたこと、

(3) 安達医師は、子宮口がほぼ全開大となったため、原告美江子に対し、陣痛発作時に腹圧をかけてもよい旨指導したこと、

(八)(1)  同日午前一〇時五〇分、安達医師はオキシトシンの投与を毎分三五滴としたこと、同時刻、児心音が陣痛に伴って毎分一〇〇ないし一一〇(毎五秒あたり八・九・九)の徐脈に低下したこと、安達医師は、胎児が低酸素状態になったと判断し、直ちに原告美江子に酸素三リットルの経鼻投与を開始したこと、

(2) 同日午前一一時少し前、児心音が、毎分八〇ないし九〇位(毎五秒あたり七・七・八)の中等度の徐脈となったこと、安達医師は、胎児の低酸素状態が急激に進展していると判断し、急速遂娩術の適応を考えたこと、

(3) 安達医師は、子宮口が全開大であること、CPDはなく、胎児は三九週で成熟していること、児頭がステーションプラス一と骨盤の中を正常の回旋をして下降してきていること、軟産道腫粒がないこと、直腸、肪胱が空虚であることから、三〇分以内の経膣的娩出が可能であると判断し、他方、帝王切開には執刀までに約三〇分を要することから、急速遂娩術として、帝王切開ではなく吸引分娩を選択し、直ちにその準備をし、その時点で分娩室にいた進医師、赤星、米山及び相沢の各助産婦に加え、小児科医一名を呼んだこと、

(4) 安達医師は、吸引分娩に必要な適切な陣痛を誘発するためオキシトシン投与を継続し、酸素吸入を毎分五リットルに上昇させ、児頭を直接眼で確認し、吸引分娩に障害となる大きな産瘤がなかったので、金属カップを児頭の泉門を避けて装着し、陣痛の到来を待ったこと、

(5) 安達医師は、同日午前一一時、一回目の吸引を行なったこと、その際、初めは進医師が、途中から赤星助産婦がクリステレル圧出法を行なったこと、また、安達医師は、その際、助産婦を通じて黒島助教授に、原告美江子の状況、吸引を行なっていることを伝え、分娩室へ来室するよう要請したこと、

(6) 安達医師は、同日午前一一時二分、二回目の吸引、同五分、三回目の吸引、同八分、四回目の吸引をそれぞれ行ない、二回目の吸引の後と三回目又は四回目の吸引の後、吸引カップがそれぞれ滑脱したこと、

(7) 黒島助教授は四回目の吸引の途中で分娩室に入室し、安達医師に吸引の操作の交替を申し出たが、安達医師は自分で大丈夫である旨答えたこと、

(8) 安達医師は、同日午前一一時一五分、黒島助教授の立ち会いの下、五回目の吸引を行なったこと、五回目の吸引を行なった後、原告美江子の呼吸が乱れ、陣痛時に腹圧をかけられない状態になったため、安達医師は吸引が難しいと判断して吸引装置のスイッチを切り吸引カップを外し、助産婦が原告美江子に吸引法の指導を行なったこと、この間二回程の陣痛があり、陣痛間欠時の児心音は毎五秒六から一〇、毎分七二から一二〇の軽度から中程度の徐脈であったこと、

(9) 安達医師は、同日午前一一時二五分、六回目の吸引を行なったこと、胎児の後部結節が見えた時点で、胎児の頸部に臍帯が巻絡していることが判明し、米山助産婦が巻絡している臍帯を切断したこと、同二九分、原告太郎が娩出されたこと、娩出時、胎児に臍帯が頸部から、胴、左下肢にかけて巻絡しており、特に頸部には、強い巻絡がみられたこと、羊水は軽度から中等度混濁していたこと、原告太郎には産瘤が見られ、直ちに小児科医に渡されたこと、臍帯長は六〇センチメートルであったこと、

(10) 原告太郎の一分後のアプガースコアは一点で、心拍数は毎分一〇〇以下、自発呼吸はなく、筋の緊張、反射が悪く、全身チアノーゼ、蒼白状態であり、アプガースコアは、五分後に三点、一〇分後に四点、一五分後に八点となったこと、アプガースコアとは、仮死の点数であり、心拍数、呼吸、筋張度、反射、色などの点数から一〇点を満点とし、通常七点以上を正常で仮死がない状態、三点から六点が軽度仮死、零点から二点が重症仮死と分類されること、

(11) 安達医師は、吸引分娩開始から二九分後に胎児が娩出されたのは、吸引開始時の児頭の下降度からみて普通であると考えたこと、

(12) 原告太郎は未熟児室へ連れて行かれて、クベースに入れられ気管支に挿管するなどの処置がされたこと、

(九)  原告美江子は、同年三月四日、被告病院を退院し、その後、被告病院の小児科の新井医師から、原告太郎に後遺症があり、哺乳ができず、筋緊張が高く、目つきが普通でなく、脳波に異常があるなど症状が見られ、この後遺症の原因は分娩時の低酸素が原因であるとの説明を受けたこと、同年四月一〇日、原告美江子及び同明彦ほか一名と安達医師、相沢助産婦及び産科の佐藤ミエコ医師が面会したこと、その際、安達医師は、レントゲン写真、カルテ、助産録を示し、妊娠中には異常がなかったこと、胎児が産道を下降する時に十分に酸素が行かない状態、低酸素状態であったので新生児仮死で生まれたことを説明したこと、しかし、分娩監視装置の記録用紙は示されなかったこと、

(一〇)  原告美江子が、昭和六一年一二月二日、被告病院の小児科の外来へ赴いた際、原告太郎のカルテを見たところ、申し送りとして、「出産時に当院のGyn.(産科)の不手際でasphxia(窒息)となり、CP(脳性麻痺)となったcaseです。一つは、このことを伏せておきたいこと。」と記載されていたこと、

以上の事実を認めることができ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3 この点について、被告は、昭和五九年二月二四日午前一〇時五〇分に生じた胎児の徐脈は一過性のものであり、その後、基準心拍数は正常な範囲に回復し、その後同日午前一一時少し前に、再度徐脈に陥ったと主張するが、助産録の分娩経過表には同日午前一〇時五〇分の欄に、「FHR(児心音)不良となり、Base(基準心拍)→」と記載されていること、カルテの分娩経過表によれば、同月二三日午前七時から翌二四日午前一一時前までの児心音図(五秒毎)が一二と安定して経過していたが、同日午前一一時には、それが八にまで下がっており、その後、八、九、七、七、八、六、八、六と徐脈の状態が継続して、娩出に至った旨記載されていることに照しても採用することができない。

確かに、証人安達知子、同米山万里枝は、助産録及びカルテの各分娩経過表には、心拍数が落ちたことだけを記載し、正常な範囲に回復したことは記載しない旨証言七、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第一二号証で医学博士武田佳彦は、右安達、米山の各証言はカルテ等の一般的記載態度と矛盾しないとしている。しかしながら、鑑定の結果においては同日午前一〇時五〇分の徐脈が一過性であるか否かの判断は明確にされていないこと、証人橋本武次は、「FHR(児心音)不良となり、Base(基準心拍)→」とは、陣痛発作に伴い児心拍数が低下し、それが回復しないうちに次の陣痛発作の発来により児心拍が低下するという状態が続くという、一過性徐脈が重なる状態を意味すると解される旨証言していること、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第三二号証の二で医学博士我妻堯は、徐脈が一過性で正常に回復したとの記載がないことを理由に持続性の徐脈があったとしていること、証人安達知子の証言は、同日午前一〇時五〇分に生じた徐脈がどのようなものであったのかについて明確でないこと、証人米山万里枝は、助産録に一分間の心拍数を記載する場合、その時点で本件分娩監視装置の記録用紙に現れた一分間の心拍数を目盛から読み取って記載するが、その前後に何らかの変動があればその時点での数字も記載するとも証言していることも併せて考えると、証人安達、米山の右証言によって、心拍数が全体的に低下したという、助産録及びカルテの記載から通常考えられる事実を覆すことはできないというべきである。

よって、午前一〇時五〇分に心拍数が低下し、その後完全な回復はなかったとするのが相当である。

4 他方、原告は、同月二四日午前一〇時五〇分から持続性徐脈が生じ極めて重症な胎児仮死の徴候を呈したこと又は三回に及ぶ臍帯巻絡からすると、胎児の心拍数が正常であることが確認された同日午前一〇時三五分から、被告が胎児の異常が初めて認められたとする同五〇分までの間に、高度の変動一過性徐脈又は変動一過性徐脈が分娩監視装置の記録上に現れたはずであると主張する。

しかし、本件全証拠によるも、高度の変動一過性徐脈又は変動一過性徐脈が右時間内に本件分娩監視装置の記録上に現れたことを認めることはできない。

(一) この変動一過性徐脈の発現の有無については、分娩監視装置の記録用紙が極めて重要な証拠であるところ、本件においては、被告がこれを紛失したとして提出されておらず、被告はその理由として、記録用紙が膨大で、昭和五九年一〇月の産婦人科施設の全面改装の際、破棄された旨主張している。しかし、証人安達知子の証言によれば、被告病院においては、記録用紙はカルテの裏表紙に挾まれて保管されるのが通常であることが認められるところ、本件分娩監視装置の記録用紙と同種の記録用紙であることに争いがない甲第九号証によれば、記録用紙の厚さは、二ミリないし四ミリ程度にすぎないことが認められるのであり、この程度の量の記録用紙を敢えてカルテ及び助産録と別に破棄しなければならない理由は乏しく、被告の右主張の合理性には疑問がある。そして、前掲甲第三二号証の二で医学博士我妻堯は、胎児仮死並びにそれに引続いて新生児仮死を招来する原因となる程の臍帯巻絡が存在したのであれば、分娩経過中臍帯圧迫によって起こる特徴的な変動一過性徐脈が出現し、臍帯巻絡の疑いを持ち得た可能性があり、基線心拍数が低下した持続性徐脈は極めて重症な胎児仮死の徴候であり、それが何らの前兆もなしに突然出現することは極めて稀であり、このような持続性徐脈が出現する前、自然破水の起きた同日午前一〇時から午前一〇時五〇分までの間に、胎児仮死を示す何らかの心拍数の変化が出現していたことが推測されるとしていることを認めることができ、本件において、前記認定のとおり、同日午前一〇時五〇分に胎児の心拍数が低下し、その後完全な回復はなかったのであるから、極めて重症な胎児仮死の徴候が現れたというべきであって、我妻堯の右見解には一応の根拠があると考えられる。

(二) しかしながら、我妻堯は右の見解は推測であるとしており、前掲乙第二、第三号証によれば、カルテ及び助産録の各分娩経過表には、同日午前一〇時五〇分以前に胎児の児心音に異常が見られたとの記載はないと認められ、証人安達知子、同米山万里枝はいずれも同日午前一〇時五〇分以前に胎児の児心音に異常が見られなかったと証言している。

(三) そして、これらを総合勘案するならば、右時間内に変動一過性徐脈が出現した可能性を否定することはできないが、右時間内の変動一過性徐脈の出現したと認めるに足りる十分な証拠があるとすることはできないといわざるを得ない。

三  請求原因4―原告太郎の脳性麻痺の原因について

1  原告太郎の症状について

前掲甲第一八号証の一、二、乙第七、第八号証、成立に争いがない甲第三八号証、原告主張の写真であることに争いがない甲第三七号証の一ないし二一、原告美江子本人尋問の結果によれば、原告太郎は、平成三年二月一日の時点で、自力での歩行はできず、歩行には介助器具が必要であること、割座しかできないこと、座っていても安定できないので安全帽を着用していること、手を自分の意思とおりに動かせず、食事や排泄に介助が必要であること、知能指数の測定は不可能であること、原告太郎自身は言語を理解できるが、原告太郎の発声を他者が理解するには困難が伴うこと、肢体不自由児学級に通っていること、癲癇の症状があること、昭和六〇年一一月五日、東京都から脳性麻痺による四肢体幹機能障害として身体障害程度等級二級の認定を受けていることを認めることができる。

2  原告太郎の症状の原因について

前掲乙第七、第八号証、鑑定の結果によれば、原告太郎は、昭和五九年二月二四日午前一一時二九分出生したものの啼泣はなく、アプガースコアは一点、新生児仮死第二度で直ちに未熟児外来に入院し、保育器内に収容されたが、全身チアノーゼで、自発呼吸、啼泣、体動はいずれもなく、全身が弛緩した状態であり、脈拍数毎分五〇の高度徐脈であったこと、同三五分、挿管して蘇生術が実施され、全身が紅潮色になったが、四肢は弛緩したままで、アプガースコアが三点となったこと、同四〇分の検査によれば、動脈血は高度のアシドーシス(酸性血症)であったこと、同四三分、自発呼吸を開始し、同日午後零時、顔をしかめるようになり、アプガースコアは八点となり、気管内から多量の白色でやや粘調な液が吸引されたこと、同零時二五分、両肺に空気はよく入っているが、キューキュー音が軽度ながら聞こえ、シーソー呼吸、鼻翼呼吸の状態が続き、啼泣、咽頭吸引時の咳嗽反射があり、頭頂部は血腫状にはれてブヨブヨしていたこと、同零時三〇分の検査によれば、動脈血のアシドーシスは大分改善されたこと、同日午後一時一五分、自発運動が見られ、痙攣はなかったこと、同日午後三時三〇分、口角に痙攣様の震えが見られたこと、約一〇時間後に抜管されたが、被刺激性が増し、筋緊張抗進、微細発作のため、脳浮腫、脳内出血が疑われ、グリセロール、デカドロン、フェノバールが使用されたこと、頭部断層写真で大きな異常は認められなかったこと、その後、哺乳力障害、筋緊張抗進、異常な目つきがみられ、脳波は徐波で低電圧であったこと、同年四月一五日、原告太郎は被告病院を退院したが、その際の診断は、新生児仮死第二度、無酸素性脳症、哺乳困難、筋低緊張、異常眼運動、低カルシウム血症、突発性高ピルビリン血症であったことを認めることができる。

したがって、原告太郎の脳性麻痺の原因は、胎児仮死によるものである。

3  原告太郎の胎児仮死の原因について

(一)  鑑定の結果、証人橋本武次の証言によれば、臍帯が胎児にきつく巻絡している場合、陣痛発作中に胎児が子宮口の方向へ移動して臍帯を牽引し、その巻絡が一層強められて、臍帯中の血流が減少し、胎児は酸素不足になり、児心拍の異常や羊水混濁が出現するが、本件において三か所に臍帯巻絡が存在した場合には、胎盤と胎児との間の臍帯は極めて短くなり、ゆとりがなくなっていたと見られ、同年二月二四日午前一〇時から同三五分にかけて陣痛が強くなり分娩が一層進行して胎児が下降を始めたので、臍帯が胎児に牽引されて巻絡が一層きつくなり、胎児仮死の徴候が認められたと考えられ、また、同日午前一〇時に自然破水した以後、児頭が骨盤内に嵌入して下降し始めたころから、臍帯の牽引、児頭の圧迫が陣痛発作毎に繰返され、胎児の心拍数に異常がみられるようになり、そのころから低酸素状態となって、吸引遂娩術により児頭が下降して臍帯が一層牽引されて締めつけられ、時間の経過につれて、胎児がアシドーシスになったもので、仮に同日午前一一時から吸引分娩又は鉗子分娩により経膣的に一〇分以内に順調に胎児娩出となれば、新生児仮死にならないか、あっても極く軽度であった可能性があり、児頭の下降の気配がなく、児頭の牽引を早目に中止して帝王切開に変更していれば、その準備に二〇ないし三〇分要していても、その間に陣痛促進剤の投与を中止してブドウ糖単独の点滴に切り替えれば、陣痛が弱まり胎児へのストレスが軽減されて新生児仮死にならないか、あっても極く軽度であった可能性があると判断されることが認められる。

(二)  また、前掲甲第三二号証の二によれば、臍帯巻絡が存在すれば、分娩の進行によって臍帯が圧迫され臍帯血流が低下ないし遮断されて胎児の低酸素状態が惹起され、また、クリステレル圧出法を行なったり吸引分娩に併せて腹部を圧迫することは、子宮体部・胎盤などを圧迫して胎盤への母親からの血流を障害するから間接的には胎児への酸素供給を障害し、臍帯に対しても機械的な圧迫が加わる可能性があり、吸引操作により胎児頭部にストレスを加えるもので、長時間にわたって反復することは胎児仮死を悪化させるおそれがあり、本件の新生児仮死の原因は、巻絡した臍帯が圧迫されて胎盤から胎児への血液供給に障害を来たし、胎児低酸素状態を招来したところへ、吸引分娩に伴って腹部に外部から圧迫を加えて子宮胎盤血流量を減少させ胎児の低酸素状態を更に悪化させたことにあると判断されることが認められる。

(三)  右事実と前記二、2の認定事実を総合すると、本件において胎児仮死が生じた主因は、胎児に臍帯巻絡が存していたところ、陣痛発作中に胎児が子宮口の方向へ移動して臍帯を牽引して、その巻絡が一層強まり、臍帯中の血流が減少して胎児に酸素不足が生じたことにあり、その徴候が同日午前一〇時五〇分から現れたが、さらに同日午前一一時からのクリステレル圧出法を伴った吸引分娩により、児頭が下降して臍帯が一層強く牽引されて締めつけられるとともに、母体から胎盤への血流が障害され、その状態が胎児が娩出された同日午前一一時二九分まで継続したことも一因となっているとするのが相当である。

(四)  なお、前掲甲第三二号証の二で医学博士我妻堯は、本件において胎児仮死が生じた原因として分娩遷延を挙げ、同月二三日午前二時三〇分の一〇ないし一五分おきの痛みを陣痛発来と判定すると、陣痛が不規則になった時期を経て、その二四時間後に子宮口が三ないし四センチメートル開大したにすぎず、その後の陣痛があまり増強せず翌二四日午前九時三〇分に子宮口が七センチメートル開大し、分娩第一期が遷延しているとしている。しかし、前記認定のとおり、同月二三日の夜の段階で陣痛は不規則となって消失したところ、鑑定の結果によれば、初産婦においては、分娩開始後三〇時間を経過しても児娩出に至らなかったものを遷延分娩というが、原告美江子について、同日午前二時三〇分に一〇ないし一五分間隔の痛みの訴えをもって分娩開始時とすると、分娩第一期の所要時間は三二時間三〇分となるが、前日の陣痛が弱くなり完全に消失した後に再び陣痛が発来して強くなり分娩へと移行した場合も続発性微弱陣痛に含めるかどうかについては定説がなく、本症例で分娩遷延があったかどうかの判断は極めて難しいことが認められ、また、医学博士我妻堯も前掲甲第三二号証で、本件の陣痛発来時期をどこにとるかの判断は必ずしも容易でないとしていることが認められることからすると、本件において、分娩遷延があったとするには十分ではない。

したがって、本件において、分娩遷延も胎児仮死の原因であったとすることはできない。

四  請求原因5―被告の責任について

1  請求原因5の(四)―急速遂娩術の選択の誤りについて

(一)  成立に争いがない甲第三号証、第六、第七号証、証人安達知子の証言によれば、被告病院では、緊急帝王切開手術への移行については、分娩室から手術室への患者の移送に約五分、麻酔準備に約一〇分、術者の着替え、手指消毒に約一〇分、その他産婦の布掛け、消毒等に約五分の合計約三〇分を要すること、緊急帝王切開手術までの時間は、東京の場合、三〇分以内が51.2パーセントであるとされること(甲第六号証)、緊急帝王切開手術と決定してから執刀までの時間は、私的病院は三〇分以内が多いとされること(甲第七号証)を認めることができる。

これらの事実からすると、被告病院のような設備の整った大学病院においては、緊急帝王切開手術の決定から約三〇分で執刀可能な状態となるのであり、この約三〇分の間に行なわれる措置は不可避のものであって、予め帝王切開手術の準備を済ませておくのと同等の措置を行なうことができるとするのが相当である。

(二)  成立に争いがない甲第二号証、第一〇号証、第一二号証、第一六号証、第二一号証、第二三、第二四号証によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(1) 分娩遷延時には、ことに胎児心拍数の監視が必要で、毎分一二〇回以下の徐脈が三〇分以上、遅発性徐脈が一五分以上継続して出現する時、胎児血PH7.15以下の時は急速遂娩に移り、その方法としては、子宮口全開前、児頭下降度がステーションプラス一より高い時は原則として帝王切開、子宮口全開後で、ステーションがプラス二以下に下降している時は吸引分娩とするとされること(甲第二号証)、

(2) 臍帯巻絡は、通常一回だけの場合が多いが、数回にわたる場合もあり、分娩監視装置連続時の変動徐脈などで予測は可能であり、超音波検査で可能な場合もあるが、仮死、回旋異常を来たす場合があり、胎児仮死に陥れば帝王切開を必要とするが、子宮口が全開大であれば、吸引分娩や鉗子分娩を行なうとされること(甲第一〇号証)、

(3) 吸引分娩術の吸引不適位の児に対する使用は、人工産瘤の形成やカップ滑脱を繰返した末の頭皮下出血や頭血腫、皮膚損傷、さらには高ピリルビン血症、仮死の増強など、いわゆる医原病を引起こす可能性が指摘されるようになり、極めて簡単な吸引分娩においても慎重さが要求され、吸引分娩の適応については、原則として先進部が狭部又は出口部に下降している場合が吸引の適位であり、吸引は一から二回で済むようその使用のタイミングを図ることが必要であり、高位で使用すると、カップは滑脱して産瘤は増大し胎児仮死の原因ともなり、吸引器を乱用し、どうにもならなくなってから帝王切開に切り変えるなどは厳に慎むべきであって、吸引分娩における胎児側の合併症としては以前から頭血腫が最も多く、吸引分娩の際の児死亡の原因も大きい頭血腫形成による失血とされ、次いで三〇分以上の吸引を行なった例に頭皮壊死がみられるとされること(甲第一二号証)、

(4) 胎児仮死の原因となるストレスとしては、子宮収縮が主なものであって、その引き金となる部位としては胎児児頭、臍帯、絨毛間腔の三つがあり、臍帯圧迫の場合には、胎児循環血流量の減少により、直接又は圧受容体を介して低酸素症を生じ、その結果として胎児低酸素症を起こすこととなり、また、基準心拍数レベルは、陣痛間歇時において一過性の心拍数の上昇あるいは下降を除いた、最も平坦な心拍数の値で、少なくとも五分以上持続したものをいい、一〇ないし二〇パーセントの幅があり、この範囲内のものを基準心拍数と呼び、それ以上又はそれ以下の変動は心拍変動パターンとして取扱い、急速遂娩を準備する条件は、①基準心拍数レベルが毎分一〇〇回から一二〇回又は一六〇回から一八〇回の場合、②心拍変動パターンが明らかな低酸素型で、次の陣痛発作までに回復する場合、③羊水混濁の程度が三ないし四の場合のうち、二つ以上が満たされる場合であり、急速遂娩を実施する条件は、①基準心拍数レベルが毎分一〇〇回以下で、五から一〇分持続する場合、②心拍変動パターンが高度低酸素型で五分を超えて持続し、回復を認めない場合、③羊水混濁の程度が三の場合のうち、一つ以上みられる場合である(但し③については、単独で踏切る必要がない場合もある。)とされること(甲第一六号証)、

(5) 陣痛の異常として微弱陣痛が挙げられ、微弱陣痛とは、陣痛発作の頻度、持続、強さがその一ないし三つ減弱するものをいい、分娩開始当初より陣痛が微弱なものを原発性微弱陣痛、当初は正常であるが分娩経過中に微弱になるものを続発性微弱陣痛といい、子宮開大度四ないし六センチメートルにおいては、陣痛周期は、平均三分で、六分三〇秒以上を微弱陣痛、陣痛持続時間は、平均七〇秒で、四〇秒以内を微弱陣痛、子宮開大度七ないし八センチメートルにおいては、陣痛周期は、平均二分三〇秒で、六分以上を微弱陣痛、陣痛持続時間は、平均七〇秒で、三〇秒以内を微弱陣痛、子宮開大度九センチメートルから分娩第二期においては、陣痛周期は、平均二分で、初産の場合四分以上を微弱陣痛、陣痛持続時間は、平均六〇秒で、三〇秒以内を微弱陣痛というとされること(甲第二一号証)、

(6) 吸引分娩は、子宮口全開大前は禁忌とされること(甲第二三号証)、

(7) 胎児仮死・新生児仮死になることが多く、帝王切開となる可能性が高いものとして、経膣分娩が遷延するもの、CPDのボーダーライン・ケースが挙げられ、胎児仮死の徴候が出現したら、直ちに、①側臥位にして子宮収縮の間隔を長くし、子宮・胎盤循環を改善する、②陣痛促進剤を注射している場合は直ちに中止して陣痛を弱め、それでも陣痛が強すぎるか、帝王切開の準備に時間がかかるなら、子宮収縮抑制剤を追加投与する、③母体に酸素吸入をして、胎児への酸素供給を促進する、④五パーセントブドウ糖液か、一〇パーセントマルトースを点滴注射して血管確保をするとともに、母児への栄養・エネルギー源を補給するなどの応急処置を施し、急速遂娩を必要とする緊急度を見極めて早く児を娩出させる方策を考え、胎児心拍数の基線が持続的な徐脈になれば、一〇分以内に、遅発一過性徐脈が出現したら二〇分以内に、高度な変動一過性徐脈が出現してから四〇分以内に児を娩出させるのが望ましく、急速遂娩術の選択については、まず第一に分娩の進行度を知り、児下降度がステーションプラス一以下で子宮口全開大前であれば帝王切開が、児下降度がステーションプラス一以上で子宮口全開大前であれば帝王切開又は吸引分娩が、児下降度がステーションプラス一を超え子宮口全開大後であれば、吸引分娩がそれぞれ選択され、次に、胎児仮死の重症度と分娩の進行度から胎児を救出しなければならない緊急度を見極め、母児のリスクの諸要因を中心に総合的な判断を下し、短時間内に児を娩出させる見通しがなければ、常に帝王切開となる可能性を考慮すべきであるとされること(甲第二四号証)、

を認めることができる。

(三)  前掲甲第三二号証の二、鑑定の結果、証人橋本武次の証言によれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、

(1) 本件において、胎児仮死の診断が、典型的な胎児心拍数図の異常波形を示す徐脈であったとすれば、あまり間をおかずに、まず吸引遂娩術で児頭を牽引してみて、①児頭が順調に下降してくるなら、そのまま吸引カップの牽引を続けて児を娩出させる、②下降が途中まで進み、それ以上の下降が困難であれば、児頭の牽引を鉗子分娩に切り替えてみる、③児頭が全然下降しなければ、この時点の下降度では帝王切開に切り替えざるを得ず、本件において吸引分娩術を開始する時点では、既に子宮口は全開大になっており、自然破水もしていたが、児頭先進部のステーションはプラス一で、児頭が骨盤の中在でまだかなり高かったこと、産瘤があって吸引カップの装着が不完全になったこと、骨盤の狭部から出口部にかけて、産道の抵抗に遭って、強く牽引すると吸引カップが滑脱したことから、牽引の開始から児娩出まで二九分間の長い時間を要したが、たとえ分娩時期が同じであっても、吸引分娩か鉗子分娩により経膣的に一〇分以内に順調に児娩出となれば、新生児仮死にならないか、あっても極く軽度であったかも知れず、吸引分娩術を実施しても児頭が全然下降する気配がないので、児頭の牽引を早目に中止して帝王切開に変更していれば、その準備に二〇ないし三〇分要していても、その間に陣痛促進剤の投与を中止してブドウ糖液単独の点滴に切り替えれば、陣痛が弱まり胎児へのストレスが軽減されて新生児仮死にならないか、あっても極く軽度であった可能性があると考えられること、本件では、同日午前一〇時五〇分に胎児心拍の低下により胎児仮死の発生を認め、母体に酸素を吸入して、その後一〇分間経過をみたことは不適切とはいえないが、同日午前一一時の段階では、一〇分以内に娩出されるような措置を考えるべきであり、安達医師が三〇分で娩出できると考えたのは長すぎるとされること(鑑定の結果、証人橋本武次の証言)、

(2) 同日午前一〇時五〇分に胎児心拍数が持続性徐脈あるいは異常低下を示した時点では、子宮口は未だ完全に全開大ではなく、なお辺縁を残した状態であり、全開大になったのは一〇分後の午前一一時であり、この時から分娩第二期が開始したわけであるが、通常、子宮口全開大から胎児娩出までの分娩第二期は経産婦でも、約一時間から一時間三〇分、初産婦では、約二ないし三時間を必要とし、胎児仮死の徴候、特に本件の如く持続性徐脈が出現した場合には、可及的速やかに胎児を子宮外に娩出させる必要があり、その時間は大体一五分程度といわれ、本件では、軟産道である子宮頸管が硬くて開大に時間がかかっており、膣なども伸展性が不良で抵抗が大きいおそれがあり、骨盤出口部も多少狭いことが予想されていたのであり、そのような産婦において、子宮口全開大直後で児頭が高い位置(ステーションプラス一)から吸引分娩で短時間内に児を経膣的に娩出させることができると予測した判断は、誤りであったといわざるを得ず、本件の医療機関は医育機関であり、決定から三〇分以内に帝王切開の執刀が可能な施設だといわれるから、保存的な胎児仮死の子宮内治療(酸素吸入、体位変換、子宮収縮剤投与中止、弛緩剤投与等)を行ないつつ、準備を進め手術分娩を選択すべきであったとされ、帝王切開を行なうとしても、その決定から執刀、娩出までに約三〇分を要し、胎児仮死認識から娩出までの時間は、本件の場合と同じであるかもしれないが、胎児の低酸素状態が発生した後に、子宮収縮剤の増量による収縮の増強と産婦の腹部圧迫による子宮胎盤血流量の減少、臍帯圧迫、吸引操作による胎児頭部へのストレス等を三〇分間にわたって与え続けた場合と、これらの操作を全く行なわず子宮胎盤血流量を増加させるような試みをなしつつ、帝王切開の準備をして娩出させる場合とでは、胎児の予後に有意の差を生じることは明らかであり、吸引分娩は短時間内に一ないし二回で娩出させないと母児に障害を来たしやすく、本件の場合に一ないし二回試みて、娩出に成功しなかった際に直ちに帝王切開に方針変更すれば、新生児の中枢障害が起きないか、起こっても軽くて済んだものと思考されるとされること(甲第三二号証の二)、

を認めることができる。

(四) 右(一)ないし(三)からすると、本件の場合、極めて重症な胎児仮死の徴候である基線心拍数が低下した徐脈が同日午前一〇時五〇分に現れ、同日午前一一時まで持続し回復しなかったのであるから、一〇ないし一五分程度で可及的速やかに胎児を母体外に娩出すべき状況にあったが、本件においては、児頭の位置がステーションマイナス一と未だ高い位置にあるため、鉗子分娩は不適応であることから、その方法としては、経膣的な吸引分娩あるいは帝王切開による娩出が考えられるが、右のいずれの方法によっても、本件胎児を娩出するまで約三〇分を要することが予測され、結局、一〇ないし一五分程度で胎児を母体外に娩出することは困難であったものと認められる。娩出の施術を行なう医師としては、経膣的な吸引分娩による方法と帝王切開による方法のいずれが、胎児の症状等の診断から判断して、胎児に対する影響をできる限り最小限に押さえることができる方法であるかを十分に検討して、施術法を判断選択すべきであるというべきである。そして、本件の場合には、胎児の仮死が急速に進展している状況が認められ、胎児の低酸素状態が生じているおそれがあるのであるから、娩出の実施に際しては、保存的な胎児仮死の子宮内治療(酸素吸入、体位変換、子宮収縮剤の投与の中止もしくは投与量の調整、弛緩剤投与)を行なうとともに、産婦の腹部圧迫による子宮胎盤血流の阻害、臍帯圧迫、吸引操作による胎児頭部へのストレスをできるだけ避けるべきであること、吸引分娩と帝王切開の方法を比較した場合、娩出に要する時間に差異はないが、本件胎児の症状から判断すると、帝王切開による方法が、吸引分娩に比較して、新生児仮死にならないか、なったとしても極く軽度で済むかも知れないと判断される状況にあったことが認められる。

そうであるとすれば、本件の場合には、胎児の予後について優位的な帰結が得られる蓋然性は、帝王切開の方法による場合の方が高かったものと認められるのであるから、医師としては、吸引分娩の方法の選択は避けるのが相当であったと認められる。

前記認定事実によると、安達医師は、同日午前一〇時五〇分に胎児の心音の異常、徐脈を認め、胎児仮死の発生を認めて母体に酸素の投入を開始して経過を観察した後、同日午前一一時少し前に中程度徐脈となったため、胎児仮死が急速に進展しており、急速遂娩術を実施すべきであると判断したが、吸引分娩と帝王切開による娩出とのいずれの方法によっても、三〇分程度の分娩時間を要することから、当時の医学水準に照らすと、CPDのないような場合には経膣分娩が第一選択とされていることもあって、本件場合にも吸引分娩の方法による娩出が相当であると判断して、吸引分娩による娩出を選択したものであると認められる。しかしながら、本件の場合には、胎児の仮死が急速に進展しており、胎児の低酸素状態が生じているおそれがあったと認められること、原告美江子は初産婦であって安達医師がそれ以前に実施した分娩においても母体の産道の抵抗はかなり強く、本件吸引分娩を実施した際には、児頭の位置がステーションマイナス一と未だ高い位置にあることが認められており、実際に、右選択後の吸引分娩の過程において、少なくとも、吸引カップの滑脱が二回生じていることに鑑みても、吸引分娩により円滑な娩出が可能な状況にあったとは認め難いことなどの事実に照らすと、胎児に対する低酸素状態による影響や臍帯圧迫を可能な限り避け、保存的な子宮内治療を行なうなど、娩出の施術に基づく胎児への影響を最小限に押さえるような措置をとるとともに円滑な娩出が行なわれるような方法による娩出が期待される状況にあったにもかかわらず、安達医師は、右急速遂娩術の選択に当たって、同日午前一一時の胎児の状況から、吸引分娩により三〇分以内に娩出することが可能であるとの判断のもとに、吸引分娩の方法を選択したものであって、右選択に際して、吸引分娩と帝王切開による娩出とのいずれが胎児に対する悪影響が発生する可能性が少ないのかなどということを十分に考慮判断した上で、吸引分娩による娩出の方法を選択して施術したという事実を認めることはできないし、本件証拠を精査しても右事実を認めることはできない。安達医師は、当初に予定したとおり二九分で原告太郎を娩出しており、同医師の実施した右吸引分娩の施術それ自体が不適切であったと認めることはできないが、右急速遂娩術の選択に当たって、吸引分娩術と帝王切開による娩出とのいずれが胎児に対する悪影響が発生する可能性が少ないのかなどということを十分に考慮判断することなく、前記のとおり、吸引分娩による娩出の方法を選択して施術したことは、医師としての相当な注意義務を怠ったものといわざるを得ない。また、吸引分娩による方法の選択が、本件胎児に対して合理的であったという事情も認めることもできない。

(五)(1) この点について、まず、証人安達知子は、吸引によって毎回少しずつ児頭が下降してきた旨証言しており、鑑定の結果によれば、本件においては、幸か不幸か吸引遂娩術の牽引により徐々ではあるが児頭は下降してきており、途中で帝王切開する適応は考えられなかったとされ、また、前掲乙第一二号証で医学博士武田佳彦は、本件の場合、もし、児頭が下降しなければ帝王切開に切り替えることが行なわれるところ、吸引を一ないし二回試みて、児頭が下降してきたため経膣分娩を継続しており、吸引を続行するか、鉗子分娩に切り替えるか、又は種々の危険を伴う帝王切開とするかは、医師の裁量の範囲であるとしている。

しかし、吸引により、当初予測された約三〇分間という娩出までに要する時間が短縮されて、事態が好転するのであればともかく、証人安達知子は、本件において児頭下降度がステーションプラス一の位置から吸引分娩術を実施しており、そこからの吸引分娩による娩出時間としては大体二九分というのは普通である旨証言しているのであって、約三〇分間の娩出までに要する時間が短縮されることを期待して吸引を試みたのではないことは明らかである。また、実際にも、前記のとおり、二回目の吸引の後に吸引カップが滑脱した上、その後も吸引カップが滑脱していることからすると、吸引に対する抵抗が相当程度あったと考えられるのであり、一回目及び二回目の吸引によって児頭が下降して来たとしても、それは娩出に至るまで約三〇分を要する程度の下降にすぎず、一〇分程度での娩出が可能となる程度のものでなかったというべきであって、結局、安達医師が吸引分娩に着手した後の経過は、娩出まで約三〇分を要するという吸引分娩を選択した時点での判断とおりの経過を辿ったにすぎず、安達医師の判断が適切となるわけではない。そして、前記のとおり、同日午前一〇時五〇分以降の徐脈は、極めて重症な胎児仮死の徴候であって、それ以前の変動一過性徐脈の出現を否定できないのであるから、同日午前一一時ころから、約三〇分間を要する吸引分娩を試みることは、少なくとも、急速遂娩術に着手するまでの約一〇分間の経過観察期間を含めて約四〇分の間、胎児を極めて重症な仮死状態に置くこととなり、加えて、変動一過性徐脈が生じた可能性のある時刻から午前一〇時五〇分までの間、胎児に対してストレスがかかっていた可能性も否定できないのであって、娩出までに約三〇分を要することを前提として、吸引分娩の方法による娩出を相当であると判断してこれによったことは、本件においては適切でないと認めざるを得ない。

(2)  また、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第九号証で北里大学医学部教授西島正博は、本件において吸引分娩を実施したことは適切であったとしているが、CPDがない場合には経膣分娩が第一選択であり、本邦ではそれが一般的であることから、そのような判断を示しているにとどまり、これによって、安達医師の本件選択が適正であったことを認めるものではない。

(3)  被告は、臍帯巻絡は児娩出に至るまで診断することはできないと主張するが、本件では同日午前一〇時五〇分の段階で胎児仮死の徴候が現れていたことは明らかであり、その原因を事前に特定することができないとしても、胎児仮死に対する処置をとるべきことに変わりはないから、被告の右主張は理由がない。

(4)  そして、他に右(四)の認定を覆すに足りる証拠はない。

2 よって、その余の点について判断するまでもなく、被告に不法行為責任が認められる。

3 因果関係について

前記1の(一)(1)、(2)からすると、本件において、原告太郎が吸引分娩により娩出されず、吸引分娩が実施された当初から帝王切開術により娩出されていたならば、原告太郎の現在の脳性麻痺の症状は起きなかったものと認めることができ、吸引分娩の選択の誤りと原告太郎の脳性麻痺の症状との因果関係が認められる。

五 損害

1 原告太郎について

(一) 逸失利益

前記三、1の認定事実からすると、原告太郎は、労働能力を一〇〇パーセント喪失していると認めることができる。そして、原告太郎が昭和五九年二月二四日生まれの男児であることは当事者間に争いがなく、満一八歳から満六七歳まで四九年間の就労が可能であること、労働省発行の平成三年度賃金センサスによれば、男子労働者学歴計の年収額が金五三三万六一〇〇円であることは明らかであるので、原告太郎の逸失利益の現価総額は、金四〇二八万四八八六円となる。

金533万6100円×(19.2390−11.6895)=金4028万4886円

(二) 付添費用

前記三、1の認定事実からすると、原告太郎は、家人による介助付添いを常時必要としていると認められ、そのための費用としては、一日当たり金五〇〇〇円を認めるのが相当であり、昭和六一年度の簡易生命表の「男子」「一年」の平均余命は74.65歳であることは明らかであるから、付添費用の現価総額は、金三五五一万三〇四〇円となる。

金5000円×365×19.4592=金3551万3040円

2 慰謝料

前記三、1の認定事実からすると、原告太郎に対する慰謝料としては金一六〇〇万円、原告美江子及び同明彦に対する慰謝料としては、各自金二〇〇万円が相当である。

3 弁護士費用

原告らは、原告ら訴訟代理人らに委任して本件訴えを提起、追行していることは訴訟上明らかであり、本件事案の難易度や認容額、本件不法行為時から本件訴訟提起までの期間、その他諸般の事情を考慮すると、原告らが原告ら訴訟代理人に対して支払うべき手数料等のうち、被告に対して賠償を求めることができるのは、原告太郎について金九〇〇万円、原告美江子及び同明彦について各自金二〇万円と認めるのが相当である。

六  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、原告太郎について金一億七九万七九二六円、原告美江子及び原告明彦について各自金二二〇万円並びにこれらに対する本件不法行為の日である昭和五九年二月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いをそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官星野雅紀 裁判官金子順一 裁判官増永謙一郎)

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